『自由の国のイフィゲーニエ』を考える・広げる
美術:渡邊織音

演出ノートから
美術を考えて拡張する
稽古ができない中
オンライン上で美術と演出の探求
BLENDERを用いて、美術・演出・音響・照明の妄想を共有しながら進めました。
※美術と演出でのコミュニケーションツールにとどめての共有作業になります。

光と空気の
粒子について
雨上がりや木漏れ日などが作り出すスポットライトのような太陽光が、外気 に含まれる微粒子をとらえ、きらきらとみえる瞬間があります。
劇中終盤にこまばアゴラ劇場の大扉を開けるシーンが(演出ノート上に)あり、外気との接触を試みる瞬間が生まれます。舞台上に積まれていたわずかなほこりを一掃するぐらいの、梅雨間の風に私たちは、はっとさせられる瞬間が来るのだろうと思います。幕と引き換えに現実が立ち上がります。

舞台を襲う
容赦ない景色
野外舞台とは対照的な、こまばアゴラ劇場は、黒い・暗い空間です。
しかし、昼夜を問わなかった劇場の大扉をあけて、いろんな音や光などの要素が入り込んできて、野外化してしまった劇場があらわれたとき、室内空間の静謐な空間の強さと危うさに、気づくかもしれないです。
この戯曲にはその瞬間が必要なのかもしれないとの思いで描きました。
埋没する、を
イメージする。
正しいと考えられてきたものが転覆するとき、もしくは自分の外側にあるまったく違う世界を見てしまったとき、日常的であったことに、大きな穴が開いてしまって、修復不可能な時、立ち尽くしてしまう瞬間が訪れると思います。ふさがれた穴は、開いた穴を私たちは肯定しうるのかどうかを、船に開いた穴にはまった人間が、マイクに届かない、というような表現を生んだのかもしれないです。水面が見える、そういう瞬間を作りたいのかなと、想像してみています。


滞在する室内での社会性を考えてみる。
ひとつの区切られた空間に、複数の制約がある中で滞在することが、遊んだり、運動したりなどの積極的な滞在を試み る方向として、思考が醸成していく可能性を、歴史は時々私たちに気づかせてくれる時があります。逆に、停滞することによって引きこもり、閉塞感の中で負の連帯感を生み、連鎖して、時として、それは危うい時を迎えることでもあると思います。
『ベルリン・天使の詩』という映画を観る機会があり、書かれた戯曲の背景と並行する、風景の営みを想像することが、なんとなく私の記憶に残っています。
コロナへの応答・客席の制約
感染症との共存はこれまでも、これからも。
東京は過密な都市生活を生きています。
(図面は4月4日時点 作:黒澤多生)
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