稽古場ノート①
岩井由紀子
「自由の国のイフィゲーニエ」について
わたしたちは2月から「自由の国のイフィゲーニエ」の稽古をしていました。
わたしが稽古を通じて感じたことは「女性」ということです。
主にわたしは第二章「自由の国のイフィゲーニエ」の稽古中に思いました。
この中のイフィゲーニエはただただ嘆き、悲劇のヒロインぶる女性にしか感じませんでした。
しかもイフィゲーニエの台詞はすべて心の中、他の登場人物には誰にも聞こえません。
他三名の役(すべて男性)は誰かと話す声なのに、です。
わたしはイフィゲーニエが気に食わなくなりました。
きっと表面ではにこにこと、「何も文句ありません」顔をしているのに心の中ではいろんな意見や悲しみがあるのです。
わかったような口を聞いて、誰の意見も聞き入れない頑固な女性だなあと思いました。
でも稽古をするとすごく楽しくて、
清々しい気持ちにもなりました。
彼女のただ境遇を嘆くところから、
男たちへの不満になり、
最後には自分の思うことを高らかに叫び、
他人へ要求までしていく。
この章だけでジェットコースターのような感覚を感じました。
「壁」について
ある日、稽古場に壁が出現しました。
その壁はベルリンの壁を彷彿とさせるものでした。
壁を使って稽古してみると、
東西を分断するという意味の他に
さまざまな役割を感じました。
そのひとつに、性別の壁です。
今回はわたしと串尾一輝しか出演者がいないのですが、
わたしたちは性別が違うため、
彼が壁の上にいたり、壁の向こう側にいると
距離や、分断され交われないことを感じました。
また、壁の話をメンバーとしていた際に、
アーティストのバンクシーを思い出しました。
バンクシーは壁に絵を描きますが、
そのこと自体や、その壁に意味を持たせます。
こちらからバンクシーの作品が見られます。
ベルリンの壁が意味をもったように、
バンクシーの描く絵、壁には意味ができます。
そんな壁が舞台上に現れたら良いと思いました。
それは美術の力だったり、
照明、音響の力であったり、
演出家の力であったり、
俳優の力であったりすることでしょう。
どんな壁ができるのか、
果たしてそれは見えるのか、見えないのか、
どんな意味を持つのか、まったくわかりませんが、
わたしは早く見たいと思っています。
みなさまにこの作品を観ていただける日を心待ちにしております。
岩井由紀子