​稽古場ノート②

 
iOS の画像.jpg

​俳優は何を考えるべきか

アーカイブとして何を残しうるか、よくわからないまま困り果ててしまった。

今回例えば蜂巣さんは演出ノートというのを公開している。美術の識音さんは、美術スケッチを公開した。どちらも、2人が創作をするうえでいつも書き溜めているものだ。きっとそれでもって、思考の整理をしたり、飛躍を期待しているのだろう。

僕はというと、「俳優ノート」「演技ノート」というものは、2人の「演出ノート」「スケッチブック」のような意味を持つものとしては持っていない。

ノートは一応持っていて、稽古場には持っていっている。

ただそれは、単にダメだしや段取りを記録したり、稽古で話したことを自分の言葉でまとめたりと、創作的なアイテムというよりはどちらかというと個人的な議事録に近い。

そういうわけで、ただ単に僕の稽古ノートを公開しても、極めて事務的なことか、自分にしかわからない自分語によるメモしか書いていないので、こういったところでpublicにしてもなあという思いに支配されて、何を公開していいものかかなり悩む。

いや、でも実はここで公開すべきものの正解はわかっている。「演技プラン」だ。演出ノート、美術スケッチに該当するものが俳優にもあるとするなら、それは演技プランに違いない。でも演技プランってなんだろう。「演技プランを公開する」ってなんだろう。そんなもの公開できるかわからないけど、書き始めてみる。

 

・・・

 

フェーズ①

とびたて、どうぶつの森

前回の岩井さんの稽古場ノート①では、「壁」というキーワードが出てきた。たしかに壁は、題材となっている時代の象徴としての「ベルリンの壁」のイメージとしてすっと理解できるし、様々な意味での断絶とか、対立みたいなものを乗せられるので、とてもいいキーワードだった。稽古中も壁のことをたくさん考えた。

他にも、個人的には実際に戯曲中に出てくる「飢餓行進」というキーワードもとても気になった。劇中第2場のタウリスの王トーアスのセリフとして語られる、飢えた民が城砦(クレムリン)に向かって行進するイメージが、古代ギリシアから東西ドイツ時代を経て現代のこの国に突き刺さって埋もれていく風景として想起された。

他にも「影」とか、「海」「船旅」など断片的で印象的なイメージはいくつもキーワードとしてあった。もともと詩的な部分や難解な表現も多い中で、そういったキーワードをたくさんストックして、稽古の材料にしていった。

しかしここで気になるのは、上で列挙したような様々な「イメージ」や「抽象的な思考の起爆剤」のようなものが、果たして演技プランと言えるだろうか ということである。

一般に「演技プランを述べよ」とか、観てくれた人に「どんな風に演技してましたか?」と聞かれれば、上で言うようなイメージたちをきっと訥々と語ってしまうだろう。

もちろん、色んなキーワードが集まってくると、それらが「抽象的に」折り重なり、

自分の頭の中である種のビジョンのようなものはおのずと立ち上がってくる。

つまりこういうことだ。


稽古場で演出家の前に立つ僕の "頭の中では" 、東西(あるいは南北)に果てが見えないくらいに続く壁が立ちはだかり、遠くには海の波音がかすかに聞こえ、港で武器や食料を運ぶ奴隷の足枷の鎖のぶつかる音や、士気を高めて太鼓を打ち鳴らすムキムキな男たちの筋肉ダンスの調べが砂交じりの風に乗って聞こえてくる。さらにその海の向こう何千里も先には、生まれ故郷のギリシアの方角を見つめるイフィゲーニエの、日に焼けた髪の毛までがハッキリと見えている。競争社会に疲れ切った作業員が、スーパーマーケットに並ぶアンティゴネと東西冷戦の犠牲者にちょっかいを出している様子も、アリアリと浮かんでくる。

そういうイメージに満たされて、僕は稽古場で演出家の前に立つ。

ただここで信じられないことが起こる。

アッコさんもびっくりかもしれないが、これだけ色んなことをアリアリとイメージしていても、実はセリフは一言も言えないのである。少なくとも僕の場合は。

これは一応当たり前のことだが、イメージをしているだけでは、セリフは聞こえてこない。口を開かなければ。舌を動かさなければ。呼吸もして、身体を少し動かさなければ。もし豊かなイメージを膨らませてただ立っているところに、適切な装置がしつらえられ、然るべき光が当てられれば、優しい観客は何かしら読み取ってくれるかもしれない。でもそれはたぶん、演技をしていることにはならない。

 
iOS の画像 (1).jpg

​フェーズ②

​- 悲しい目をした奴 -

イメージや抽象的な風景を思い浮かべたり、解釈を逞しくしていくことは、それをやっているときには演技プランがみるみる構築されていくように感じたりするのだが、実は全く「演技をする」ということの物理的側面には寄与しないのである(少なくとも僕の場合は)。毎回忘れる。

正確には全くということではないのだが、それはあくまでフェーズ①なのだ。

もちろん、イメージがあれば自然とセリフが口をついて出て身体が躍動しだすという人もいるかもしれない。ただ、僕は凡な俳優なので、情けないことにこれだけでは駆動していかない。

当然フェーズ①はフェーズ①で大切な作業で、ここがなければ先には行けない。

ただ、ここに腐心して実際的演技が伴わないというのが、一番よくない(毎回そうなる)。

さてではフェーズ②では何をするかというと、イメージはさておき(?)、じゃあ実際的にどう声を出せばいいのか、どう動いていけばいいのかということになる。これがあるのが俳優のジレンマであるなあと、思う。フェーズ①でどんなに豊かなイメージを持っていようと、どんなに魅力的な解釈を持っていようと、フェーズ②で適切な構築をしていかなければ、とたんにその俳優は無価値になってしまう。

絶対に、何かしら声帯を駆使して声を出すなり、身振りを交えて身体を動かしていかないといけない(もしそれ以外の方法で演技できれば、発明だ)。

​できれば声帯も体も動かしたくない。何しろ頭の中で今構築されているイメージや解釈は、既に豊かに広がっている。これをいまさら自分の汚い声を出したり、硬い体を無理に動かしたりして、このイメージを損ねたくない。

​そういう気持ちになる。

しかしそんな気持ちで突っ立っていても何も伝わらないので、何とか頑張って、声を出すなり身体を動かすなりしていくことになる。

またこの性の悲しいのは、世の中の演出家というのはだいたい、フェーズ①には鼻の穴を膨らませて付き合ってくれるのに、フェーズ②のことを相談すると途端に冷たくなる。

さっきまでフェーズ①で本当に豊かなことを議論していたのに、なぜ途端にそんなつまらないことを言うのか、という風である。

こう、文字で書くとあれだが、別にそういう態度を責めたりしたいということではなく、この態度というのは、まさに全く正しいと思う。もちろん僕はここにやりがいを感じてもいるのである。それでこそ、このフェーズ②というのが俳優による作業になるし、俳優というポジションが存在する意味を与えてくれる。

逆に言えば、フェーズ①は演出的な作業でもあるのだ。

演出家のそれとは軸足が違うというか、比べるのも申し訳ないくらいお粗末なものだが、性質としては似たようなものだと思う。

そう考えるとつまりフェーズ②は、演出家による演出と、自分自身がフェーズ①で構築した演出という二つの演出を、俳優の自分(悲しい目をした奴)に遂行させていく作業でもあるといえる。

そしてその悲しい目をした俳優が、時に相反するその2つの「演出」を、なんとか遂行するために鼻血を噴き出しながら発見した逃げ道(ドア)こそが、「演技プラン」といえるのではないだろうか。いえる!演技プランとはそういうもののことにする。

まとめると、このフェーズ②というもの、つまり「異なる2つの演出を遂行するための実際的な逃げ道の数々」、というのを演技プランということにしてみる。

 

・・・

 

悲しい目から涙が。

そうすると、困ったことに演技プランというのは、事務的ではないまでもかなり具体的な作業の一つ一つということになってしまう。

今回は既にこれを上演したわけでもなければ、近い将来(1か月とか2か月とか)に上演する予定というわけでもないという性質上、そんな具体的なものを公開しても、あまり意味がないように感じる。

しかしこのままでは、結局何一つアーカイブingしてないじゃないかということになってしまう。

でも演技プランが具体的すぎるのでしょうがない。

ただ、どんなことを考えて稽古に臨んでいたかという、その「考え」を公開したということに、なんとかしたい。

つまり、フェーズ①を、今回は公開したということ、にしたい。また上演できる機会があれば、フェーズ②についても効果的に公開できる方法を考えてみたい。

ということで今回は最後に、今まで書いてきたようなことを考えるきっかけになったある日のワークのその概要を紹介して終えることにする。終えちゃう。

ちなみにこれまで張ってきた写真も、そのワークで岩井さんにやってもらったものの写真だった。

---

Work in Progress

参加者: 岩井、串尾

流れ

  • 全4場ある『自由の国のイフィゲーニエ』からそれぞれ担当の場が1つ振り分けられる

  • 時間が与えられ、担当の場の中で「気になるセリフ」を4つ選ぶ

  • その4つのセリフをそれぞれ、「あるポーズ/または単純な動き」とともに発声する

  • セリフを発する前には、好きに空間を整えたり、間をとってよい

 - - - 発表する - - -

  • 先ほど発表した自分のポーズとセリフを、もう一人に演出して、同じものをやってもらう​​

 - - - 発表する - - -

 
 

​​●すべての3D・ドローイング(図面:黒澤多生)は渡邊織音が作成いたしました。

This site was designed with the
.com
website builder. Create your website today.
Start Now